四神とは、東西南北の四方を守る神獣の事で、朱雀は南を司ります。
北は玄武、東は青龍、西は白虎である。四神相応とは四方に四神が配置されている土地の事で、
北(玄武)は丘、東(青龍)は川、南(朱雀)は池、西(白虎)は
道があれば四神相応の地に適していると言われており、その地は長く繁栄する。
京都(平安京)も四神相応の地であり、北には船岡山、東は鴨川、南は巨椋池(現在は地名のみ現存)、西は山陰道であり、
この四神相応を取り入れている。
四神とは、東西南北の四方を守る神獣の事で、朱雀は南を司ります。 北は玄武、東は青龍、西は白虎である。四神相応とは四方に四神が配置されている土地の事で、 北(玄武)は丘、東(青龍)は川、南(朱雀)は池、西(白虎)は 道があれば四神相応の地に適していると言われており、その地は長く繁栄する。 京都(平安京)も四神相応の地であり、北には船岡山、東は鴨川、南は巨椋池(現在は地名のみ現存)、西は山陰道であり、 この四神相応を取り入れている。
高く聳える黒松を青龍に見立てる。
南庭『依稀松庭』
名前の由来は禅語に「依稀たり松の屈曲、彷彿たり石の爛班」とあります。松の曲がった幹や枝ぶりが様々な姿に現れているという意味である。南は四神相応では朱雀であり、松により伝説の鳥の朱雀に見立てて庭園を作庭している。
中央の黒松は流枝を大きく伸ばし、庭園中央に大きく羽ばたく朱雀を現し、背後にはサツキを中心とした大苅込は朱雀の背後にそびえる山々を現しており、遠近法により朱雀が近くを飛んでいる姿に見える。また朱雀を目で追いながら廊下を歩けば優雅に飛ぶ姿を見る事ができる。
西庭『虎靠山の庭』作庭 重森千靑
禅語の「如龍得水 似虎靠山」が名前の由来。普段から坐禅をしている時の様な心を持つことは大切な事であり、「水を得た龍や、山に入った虎の様に、本来あるべき姿に戻れば本領を発揮する」のである。
西庭の方角は四神相応では白虎であり、中国の故事「虎の子渡し」を表現した庭である。
北庭『彷彿石庭』作庭 重森千靑
名前の由来は、禅語の「依稀たり松の屈曲、彷彿たり石の爛班」であり南庭の対句から名付けられた。石の模様や形が様々な姿に現れているという意味である。北は四神相応では玄武であり、手前の島は石組により亀に見立てて庭園を作庭している。
中央の島は鶴亀の島になり最奥の島は蓬莱島と蓬莱山の石組で、不老不死の薬があるとも、仙人が住むと言われている縁起の良い島である。亀の玄武も感じられる様に黒系の石で州浜を現している。またフッキソウは玄武の蛇にも見立てる事ができる。
石の数は十五石で構成されており七五三石組で最っとも尊く縁起の良い数字とされている。
一華院では、「白衣観音」、「一華開五葉」、「朱雀」の3種類の御朱印を授与しております。
一華院では、「白衣観音」、「一華開五葉」、「朱雀」の3種類の御朱印を授与しております。
一華院の御本尊である「白衣観音」の御朱印です。インドでは出家者の着る黄色い衣に対して、白い衣は在家、つまり俗人の衣の色で、白衣観音は俗人の姿をして人々を救うために現れたと云われています。 白い布を頭からかぶりゆったりとした白衣を着て岩の上に静かに座った姿は、見る者に親近感を与えてくださり、消息と除病や安産、子育てのご利益があり、古くより信仰されています。
これは、初祖達磨大師がインドから中国へ来られて、二祖慧可に印可(悟りの証明)を与えられたときの偈の中の句です。「一華五葉を開き 結果自然に成る」という偈を書き与えたといわれる。一つの花が五弁の花びらを開き、やがて自ずから結実するように、われわれの心が迷いや煩悩から解放されて、真実の智慧の花を咲かせれば、菩提という仏果(悟り)を得られるだろう、という意味です。 また、達磨は中国に初めて禅を伝えた人なので「鼻祖」と呼ばれています。昔、中国において人が胚胎するとき鼻がまず形づくられると信られていたことから鼻を初めの意とし、鼻祖とも呼ばれています。